『ふることふひと』第2話についてご紹介していきます。
今回からさっそく史の語り、安萬侶の筆録による、古事記の編纂が始まります。
本編紹介
女装の理由
今回は史の回想から始まります。
史は幼少期から女性の恰好をし、女人の立ち居振る舞い、声の出し方を教え込まれていました。
それは身を守るため。敵に攻め入られたときに逃げるためでした。
…先生
『敵』とは一体
誰ですか
史が山科(やましな)の養父、田邊史大隅(たなべのふひとおおすみ)の元にいた時のことですね。
鎌足が仕えていた大王(天智天皇)の息子・大友皇子(おおとものみこ)と弟・大海人皇子(おおあまのみこ)の皇位継承争い。
壬申の乱の時に史は満13歳。年少だったこともあり直接戦に関わることはありませんでしたが、立ち位置としては前朝廷の流れを受け継ぐ大友皇子側になります。
妹・五百重
女性の声に、史は回想から引き戻されます。
声の主は、異母妹・五百重(いおえ)。大王の妻の一人です。
五百重は史を完璧に女装させてくれました。
史も自分で言ってますが、大人になっても通用する女装ってすごいですね。
この時の史の年齢はいくつなのでしょう。天武天皇の在位は673年から686年。史の生年が659年なので、満14歳から27歳。……ちょっと広いですね。
既に皇子たちが日本書紀の編纂にとりかかっているのがヒントになりそうです。一般的には、天武天皇10年(681年)に天皇が皇子に「帝紀」と「上古の諸事」の編纂を命じたという記述が、『日本書紀』編纂の始まりとされるようです。となると22歳~27歳。一番若くても22歳で女装が似合う男性……。史、さすがです。
(追記)次の第参話を読み返してみたところ、22歳よりは若く、16歳くらいだと計算されました。
語部・稗田阿禮
時は稗田阿禮(ひえだのあれ)と太安萬侶(おおのやすまろ)の対面に戻ります。
阿禮は安萬侶に自己紹介。稗田は代々神語(かんがたり)を伝え継ぐ巫女の一族で、阿禮は伊勢で修行した後に大王の舎人(とねり)を務めていると自己紹介します。
舎人は通常男性の職業とされますが、本作では阿禮は舎人との設定のようです。
ここで歴史上の人物としての稗田阿禮を見てみます。
稗田阿礼(654?~?)
語部(かたりべ)の舎人(とねり)。記憶力に優れ、天武天皇の詔により『帝紀』や『旧辞』を誦習(しょうしゅう)し、太安万侶に筆記させた。女性との説もあるが、舎人とあるので男性か。引用:日本史B用語集 改訂版(山川出版社)
稗田阿禮は史と違い、基本的に教科書通りの役割ですね。
教科書登場回数は11冊中11冊。古事記の編纂に関する重要人物として、必ず教科書に記載されています。
誦習は辞書によると、「書物などを繰り返し読んで学ぶこと。また、読んでおぼえること」。
この漫画で史が覚えた書物は、炎上する蘇我の屋敷から持ち出された史書。日本書紀によると、聖徳太子と蘇我馬子が編纂した『天皇記』と『国記』のうち、『国記』ですね。それが『帝紀』『旧辞』と同一のものという設定なのでしょうか。
古事記編纂開始
いよいよ古事記の編纂が開始されます。はじめは天地開闢(てんちかいびゃく)。
語り始める阿禮。さっそく漢字の音を使って日本語(やまとことば)を書き記す安萬侶ですが、いきなり問題が。ものすごく読み辛い。そこで安萬侶は、無理に音(こえ)の字にせず、訓(よみ)を使用することを提案します。「あめつち」は「阿米都知」じゃなくて「天地」。紛らわしいところには注釈をつけました。
そうして問題を解決し、イザナキノミコトとイザナミノミコトの国産みの話までいきました。あまりに露骨な表現に、安萬侶は赤面し、阿禮は平然としています。
日本語(やまとことば)はもっと慎み深くあるべきだ
訓読みについて、wikipediaなどで調べてみました。
訓読みは、漢字をその意味に相当する和語によって読む読み方。輸入された漢字の「山(サン)」が示すものは昔から「やま」と発音してきたものと同一だから、「山」という漢字を「やま」と読む、みたいもの。
現代の「訓読み」は、平安時代中期以降に成立したもののようです。1つの漢字に対して基本的に1つの読みが固定されました。それ以前の「古訓」は、1つの漢字に対して複数の読みがあったとのこと。「あめ」「あま」なんかはその名残なんでしょうね。
ちなみに、「訓」の訓読みが「よむ(訓む)」だそうです。意味は漢字に日本語の読み方をあてて読むこと。「おしえる(訓える)」とも読むようですが。
ヤマトは美しい
イザナキ、イザナミの字を決めたところで、今日の仕事は終了です。
外に出ると史の屋敷によく遊びに来る鹿・カクさんが待っていました。それをきっかけに、うっかり中臣と関係があることを示唆してしまう阿禮。稗田と中臣は共に神事を司る氏(うじ)として親交が深く、阿禮は史の屋敷に世話になっているという設定で通すことにしました。
そして安萬侶は、自作の歌に自身がなくて恥ずかしさから史に失礼な態度をとってしまったと明かします。この国は美しいなという率直な歌。都になじめないでいる史ですが、いつかこの歌のように思えたらここでの日々も楽しいものになるに違いないと思うのでした。
では遅れましたが、最後にこの物語の重要人物、太安萬侶について史実を見てみましょう。
太安万侶(安麻呂)(?~723)
711年、元明天皇の詔で稗田阿礼の誦習した神話・歴史を筆録。翌年『古事記』3巻を献上。『日本書紀』の撰進にも参加した。引用:日本史B用語集 改訂版(山川出版社)
こちらも教科書登場回数は11冊中11冊。古事記を語るのに欠かせない人物です。
歴史上では、元明天皇(在位:707~715)の命をうけて、阿禮の覚えた内容を書き記したんですね。作中では史と同年代ですが、史実の生年は不明。古事記が元明天皇に献上されたのが712年。この時史は53歳です。
まとめ
『ふることふひと』第弐話を紹介しました。
いよいよ古事記の編纂がはじまりました。阿禮こと史と安萬侶の手探りの仕事。都になじめず孤立していた史にも、楽しいことや親しい人間ができそうです。