【ネタバレ・史実バレあり】『ふることふひと』第4話【第肆話】

【ネタバレ・史実バレあり】『ふることふひと』第4話 ふることふひと

『ふることふひと』第4話をご紹介します。
中臣の系図、「あにうえ」、字を使った音の表現、敗者の歴史、山科の田邊史大隅……。
古事記の編纂はちょっと戻って立ち止まって、史たちの現在が描かれます。

本編紹介

中臣の系図

自宅で史は中臣の系図を確認しています。

鏡を持っていた天兒屋命(あめのこやねのみこと)は10代目。
初代は天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)。これは史が最初に語っていた、天地が開かれた時に最初に現れた神ですね。
続いて天八下命(あめのやくだりのみこと)、天三下命(あめのみくだりのみこと)。

安萬侶に指摘された、天照大御神より尊い神が天兒屋命なのではという疑惑。史書が中臣の手に渡った後に改竄された可能性。その可能性を考えた上で史に史書編纂を命じた大王。

結局系図だけでは何も分からず、史は「先生」に聞いてみることにします。そして系図をしまおうとしますが、そこで目に入ったのは父・鎌足に続く名が消されている痕跡
史の頭にある場面が浮かびます。血を吐いて倒れている誰か。「あにうえ…!!」――

そこで史は朝になっていることに気がつきました。頭に浮かんだものは覚えていないようです。

何か見ていたような…
何だっけ…?

本編でも触れられますが、天之御中主神の次の神、天八下命は初出です。

少し調べてみましたが、どうも古事記や日本書紀には登場しない神のようですね。
登場が確認できたのは、『先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ/さきのよのふることのふみ)』です。「二代化生天神」として「天八下尊」の名前が記載されています。

先代旧事本紀は神代から推古天皇までが記述されている書物で、歴史的には長く重視されてきましたが、現在は偽書という説が有力なようです。
次の天三下命も、先代旧事本紀の「三代耦生天神」に「別天三降尊」の名で見られます。

台詞には出てきませんが、4代目以降の神の名も書かれています。4天合神―5天八百日命―6天八百萬魂命―7津速魂命―8市千魂命―9居居登魂命―10天兒屋命。

7代目の津速魂命までは先代旧事本紀で確認できました。この7代目はイザナキやイザナミと同期です。
この津速魂命(つはやむすびのみこと)は、『古語拾遺』などでは天兒屋命の父とされているようです。日本書紀では居居登魂命(こごとむすびのみこと)が父みたいですね。

語りは言霊

起きた史は、春女(はるめ)に書簡を山科の先生の元に届けるように頼みます。
そして晴れた空を見上げる史。そこであることに思い至りました。

安萬侶と仕事を始める前に、阿禮は手にした鏡を持って説明をします。
天照大御神が天石屋戸にこもったので、周囲は闇。だから鏡には天兒屋命は映らない。天照大御神の前に差し出された時に初めて輝く。その円形に光る姿はまさに太陽・天照大御神そのものであると。

安萬侶は、自分は文体や構成に気をとられて、情景まで想像できなかったと落ち込みます。
そして草稿を見直しに向かう安萬侶。彼は音の高低や強さ長さの注記を入れて、阿禮の語りを再現できるようにしたいと提案します。語りは言霊。字を使ってそれを表現したい。これは日本語(やまとことば)で『読む』ための史書なのだからと。

その安萬侶の真摯な姿勢に、史は感じ入ります。そして声調を確認するため、また初めから語ることになりました。
そこで史が気になったことがひとつ。今自分が語っている神の系譜と、中臣の系図に記された神の名前が異なっているのでした。

天之御中主神に続く神名が
全く別の神だった…

安萬侶が言っていた「上声」「去声」について調べてみました。
これは中国語の声調を4種類に分類した「四声(しせい)」のうちの2つのようです。

まず「声調(せいちょう)」とは、音節の中で高低・昇降の変化で語義を区別するもの。音が違えば意味が違ってくるようです。

現代中国語にも四声がありますが、これは古代のもの。「平声(ひょうしょう)」「上声(じょうしょう)」「去声(きょしょう)」「入声(にっしょう)」の4つです。
平声は平たく伸ばす音、上声は語尾の上がる音、去声は語尾の下がる音、入声は短く詰まった音。

漢詩では「平仄(ひょうそく)」は重要な要素の一つです。上声・去声・入声はまとめて「仄声(そくせい)」と呼ばれ、平声と仄声が入る場所に規則があります。

古事記に記されているのは、作中に出てきた上声と去声の2種類のみのようです。本来漢文に用いる概念を、安萬侶が応用したのでしょうね。

敗者の歴史

語り直しは須佐之男命(すさのおのみこと)が追放される所まで進み、ようやく先に進めるようになりました。
須佐之男命は天津神(あまつかみ)としての力を剥奪されたと解釈されます。

天津神は皇統に連なる神々をはじめとする、高天原(たかあまのはら)を出自とする神々。対して国津神(くにつかみ)というのが、地上の葦原中国(あしはらのなかつくに)の神々です。

物語の舞台は高天原から葦原中国に移り、須佐之男命の系譜である、出雲の大国主神(おおくにぬしのかみ)の冒険譚が始まると、阿禮は話します。

安萬侶はそれにひっかかりを覚えます。日本の歴史書である以上、大王の祖である天津神の視点から離れるべきではない。ましてや出雲が天津神に服したというなら、敗者の歴史を入れるべきではない。歴史は戦を制した側の視点で書かねばその正当性を疑われる。先帝の崩御後に真っ先に挙兵したのは今の大海人大王。阿禮殿は大海人大王を簒奪者にしたいのか、と。

ここで時間が来ます。続きをどうするかは次回に持ち越しで、とりあえず阿禮たちは解散しました。

それでは安萬侶様は…
歴史は勝者のものとお考えなのですね

作中の、天津神と国津神を説明する図について見てみます。

図では天地開闢の際にはじめに出現した天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)から別れる形で、皇統は高御産巣日神(たかみむすひのかみ)で天津神、出雲系は神産巣日神(かむむすひのかみ)で国津神となっていますが、これは親子関係ではないですよね。

神産巣日神は天地開闢で三番目に出現した神で、別天津神(ことあまつかみ)・造化の三神の一柱。自身の居場所は高天原です。
でも出雲の国津神を色々と助けてくれるようですね。それに古事記では、大国主神に協力するスクナビコナの親のようです。
最初スクナビコナの父…と書こうとしたんですが、神産巣日神は性別は無いですよね。ただ、女神という説はあるようです。

師の危篤

家に帰った史は、安萬侶に意地の悪い言い方をしたと後悔しています。名を隠している自分とは違う。大王に配慮するのは当然だと。

そんな史に、山科からのお客が待っていると春女が伝えます。
来訪者は百枝(ももえ)。史の師であり養父である田邊史大隅(たなべのふひとおおすみ)の危篤の知らせを持ってきたのでした。

師の元に行くために休暇を願い出る史。その話を偶然聞いた安萬侶は、自分も山科へ同行させてほしいと申し出ます。

田邊小隅(たなべのおすみ)という名に心当たりはないかという安萬侶。それは史の師の息子の名前でした。壬申の乱で行方知れずになっていましたが、彼は戦死したと安萬侶は告げます。討ち取ったのは多品治(おおのほんじ)。安萬侶の父だと――

さて、何人か初めての名前が出てきました。すでに話題には出ていた田邊史大隅もまだ調べていませんでしたね。それぞれ確認してみます。
日本史の用語集には、彼らの名前はありませんでした。歴史的にはそんなにメジャーではないんですね。
史が田邊史大隅の元で養育されたというのは、『尊卑分脈』に記されているようです。

「史」の表記について『尊卑分脈』所収の「不比等伝」には、「公は避くる所の事有り、すなわち山科の田辺史大隅等の家に養う。其れを以て史と名づくるなり」と記している。

引用:人物叢書 藤原不比等(高島正人)(吉川弘文館)

田邊小隅と多品治については、『日本書紀』で名前が確認できました。

小隅が大隅と親子というのは、確定ではないようですね。
苗字や名前の類似性から血縁関係が指摘されている、とwikipediaに書いてありました。

そしてこれもwikipedia情報ですが、多品治と太安萬侶の親子関係も、メジャーな文献には書いていないようです。『和州五郡神社神名帳大略註解』巻4補闕(ほけつ)所収の「多神宮注進状」が根拠みたいです。

甲午に、近江の別将田辺小隅、(中略)劇に営の中に入る。(中略)乙未に、小隅亦進みて、莿萩野の営を襲はむとして急に到る。爰に将軍多臣品治遮へて、精兵を以て追ひて撃つ。小隅、独り免かれて走げぬ。以後、遂に復来ず。

引用:日本書紀(五)(岩波文庫)

最後に百枝です。ググってみましたが、田辺百枝(たなべのももえ) のことでしょうね。
Wikipedia情報ですが、彼も田辺史氏に属する人物のようです。

文献に出て来るのは『続日本紀(しょくにほんぎ)』。文武天皇4年に大宝律令の撰定者の一人となり、その功績で禄を与えられたとのこと。
それと日本最古の漢詩集『懐風藻(かいふうそう)』に詩が掲載されているようです。
続日本紀はちょっと手元にありませんでしたが、手持ちの懐風藻に解説があったので見てみます。

大学博士田辺史百枝 一首
田辺百枝 生没年未詳
帰化人系の人。文武天皇の四年に刑部親王・藤原不比等などとともに律令撰定に預る。時に位階は追大壱(大宝令の正八位上相当)。本書の目録には「大学博士従六位上」とあるがその叙任の年月は未詳

引用:懐風藻(全訳注 江口孝夫)(講談社学術文庫)

ちなみに『懐風藻』には、史の詩も五首おさめられています。
名前の表記は「贈正一位太政大臣藤原朝臣史」でした。

まとめ

『ふることふひと』第肆話を紹介しました。
今回の古事記の編纂は、これまでの声調の確認でした。次は出雲神話ですが、敗者の歴史を巡って阿禮と安萬侶はちょっと言い合いになります。そこへもたらされる師の危篤の報。山科についていきたいという安萬侶。少し前にあった壬申の乱が、彼らに色々な影響を与えています。

タイトルとURLをコピーしました