『ふることふひと』第3話についてご紹介していきます。
蘇我の藤原への祟り。イザナキの黄泉がえりと三貴子の誕生。そして天照大御神の石屋戸籠りと、「天照大御神より尊い神」。今回も盛りだくさんです。
本編紹介
蘇我の祟り
ある雨の日。大舎人たちが雑談をしています。
30年ほど前、大極殿で蘇我の首がはねられた。蘇我の怨みは今でも晴れていない。藤原が廃れたのは蘇我の祟り。……という噂をしているところに、史がやってきました。
祟りを怖がる同僚たち。しかし安萬侶は平然と史に近づき、消えた灯りをともしてくれます。礼を言う史。
そんな安萬侶に、同僚たちは祟りは根拠のない話でもないとささやきます。遣唐使として留学していた史の兄が、帰国した途端に急死したというのです。
藤原家は呪われている!
作中でも説明されている通り、30年ほど前の事件とは、645年の乙巳の変(いっしのへん)ですね。
中臣鎌足(史の父)と中大兄皇子(今の天皇の兄)が蘇我入鹿を暗殺します。蘇我の本家は滅亡。
このときに、後に史が覚えることになる史書が蘇我の屋敷から持ち出されました。
その後、鎌足は大出世し、死の前日には天智天皇(中大兄皇子)から藤原の姓を与えられました。
しかし天智天皇の死後、天皇の息子・大友皇子と、弟・大海人皇子との間に後継者争いの内乱(壬申の乱)が勃発。中臣は敗者・大友皇子側であったため、藤原は没落しました。
史の兄は、僧・定恵(じょうえ)ですね。彼の話は後に詳しく出てくるので、ここではこれ以上触れないことにします。
ところで、645年の乙巳の変が30年ほど前ということは、作中の時期は675年前後ということですね。
史は659年生まれなので、675年には満16歳。前回、作中の史は若くても22歳と考えましたが、もう少し若いようです。これなら女装が似合うのも納得……?
邪気払いの桃
史は異母妹・五百重(いおえ)の元を訪れます。また女装するためですね。
五百重は桃を食べているところでした。それを見て何か思いついた史は、桃を安萬侶の元に持っていきました。
怨霊が出るからという阿禮こと史。そして今日の語りが始まります。
命を落としてしまう伊邪那美命(いざなみのみこと)。
妻を連れ戻すために黄泉の国を訪れた伊邪那岐命(いざなきのみこと)が見たのは、変わり果てた妻の姿でした。
その姿に逃げる伊邪那岐命を、伊邪那美命が黄泉の者に追わせます。そこで活躍したのが、邪気を払う力のある桃でした。
一緒に桃を食べる阿禮と安萬侶。桃は安萬侶と食べるために頂いた、二人だけの秘密ですよという阿禮に、安萬侶は赤面します。
思えば初対面から、安萬侶は阿禮に好意を抱いていたようでした。
このままいくと失恋確定の安萬侶。この先が心配になります。
ところで作中に出て来る桃、ずいぶん小さいですね。桃についてちょっとwikipediaを覗いてみました
日本にはかなり古い時期に中国から伝わり、縄文時代から食べられていたようです。
弥生時代後期には栽培種が伝来して桃核が大型化しましたが、鎌倉時代でも大きさはスモモ程度で、明治以降の桃とは異なる果実とのこと。現代人が食べている桃とは違うんですね。
さて、ここで史の異母妹・五百重についてちょっと見ておこうと思います。
五百重娘(いおえのいらつめ)(生没年不詳)
藤原鎌足の子。大原大刀自(おおはらのおおとじ)、藤原夫人とも呼ばれる。藤原不比等・氷上娘の妹。天武天皇の夫人で、新田部皇子の母。天武天皇の没後、異母兄である藤原不比等の妻となり、藤原麻呂を生む。引用:wikipedia
いつも引用している日本史B用語集には、五百重の名前は見つけられませんでした。教科書に載るような立ち位置の人物ではないようです。
それはさておき、彼女、後に史と結婚するんですよね。
平安時代中期ごろまでは、異母(または異父)であればきょうだいの結婚も可能だったようです。しかし天皇の妻であった女性が兄と再婚。何があったんでしょう。
天照大御神より尊い神
語りの続きです。
黄泉の国から戻った伊邪那岐大神は、禊祓(みそぎはらい)を行います。
それによって天照大御神(あまてらすおほみかみ)、月讀命(つくよみのみこと)、建速須佐之男命(たけはやすさのをのみこと)の三貴子(みはしらのうずのみこ)が産まれます。
しかし須佐之男命は悪さばかり。ついに天照大御神のいる高天原(たかあまのはら)で、服織女(はたおりめ)を死なせる事件を起こします。
そして大御神は石屋戸(いわやと)に籠もってしまいます。
神々は協力して、大御神を石屋戸から出すための作戦を考えます。
その時に後に皇位継承の証の三種の神器(みくさのかんだから)となる鏡と勾玉が作られました。
そして作戦実行です。その中で稗田の祖先・天宇受賣命(あめのうずめのみこと)はほぼ裸で踊り、神々は大笑いします。
それが気になった大御神は皆が笑う理由を訪ねました。それに対しての答えは「貴方様より尊い神がいらっしゃったので皆喜んでいるのです」というものでした。
中臣の祖先・天兒屋命(あめのこやねのみこと)が鏡を見せ、覗こうとした大御神は石屋戸からひっぱりだされました。
尊い神が鏡に映った大御神自身だという阿禮に、安萬侶は疑問をぶつけます。
疑問なのは語り順。鏡を見せた後に尊い神がいると答えたのではなく、先に尊い神がいると答えた後に鏡を見せた。これでは「尊い神がいる」と言った時点で鏡に映っていたのは天兒屋になるのではないか。
阿禮は動揺を隠しながら、その言葉を否定します。
そんなことはあってはならない。皇位継承の証の鏡に映っていた天照大御神より尊い神が天兒屋命であるならば、それは「中臣」であり「藤原」であり、そして史自身の事だ――
天宇受賣命が答えている間に大御神様にお見せしたのです
ですから何の問題もございませんよ
ここで、第壱話冒頭で出てきた話が回収されます。
大王の祖先である天照大御神よりも尊い存在。それは、中臣の祖先である天兒屋命のことではないかと示唆されました。
つまり今の天皇よりも藤原の方が尊いということになってしまう。それは大変です。
しかし天兒屋命はどういう風に鏡を持っていたんでしょうね。
最初から鏡面を外側に向けていたら自分が映る心配はないですが、そうは解釈されていないようです
スタンバイするときは鏡面が内側になるように持っていて、いざ見せる時に裏返す方が自然でしょうか。安萬侶はそう考えたのかもしれないですね。
まとめ
『ふることふひと』第参話を紹介しました。
蘇我の怨霊と、黄泉の者の邪気を祓う桃。天皇の祖先である天照大御神と中臣の祖先である天兒屋命。神話の時代と現在がリンクしながら、話は進んでいきます。