『ふることふひと』について、1話ごとにネタバレ・史実バレありの紹介を書いていこうと思います。
今回は記念すべき第1話。サブタイトルは無く、漢字で「第壱話」とのみ記されています。
本編紹介
天石屋戸神話
物語は日本神話の一場面から始まります。
天照大御神(あまてらすおおみかみ)が天石屋戸(あめのいわやと)に籠り、八百万(やおよろず)の神が協力して彼女を石屋戸から出す話です。
しかし古事記は語らない
鏡が映した『大御神様より尊い神』が
何者であったのかを――…
好き勝手する弟のスサノオに、アマテラスが天石屋戸に閉じこもってしまう話ですね。
それによって世界は闇に包まれ、良くない出来事が起こります。
鏡が映した神が何者であったかという問い。普通はアマテラス自身と解釈して終了ですが、本作ではこの問いが重要な意味を持ってきます。
訳あり没落氏族のお坊ちゃん
時は『日本(やまと)』の国号を用い始めたばかりのころ。所は飛鳥浄御原宮(あすかきよみはらのみや)。暮らしているのは、天より降(くだ)った神々の子孫。
主人公・中臣連史(なかとみのむらじふひと)の登場です。
この地に戻ってきてまだ日が浅く、最近下級役人として宮中に出仕するようになりました。
彼は人々の噂の的。彼の父親は超大物政治家・藤原鎌足(ふじわらのかまたり)。
しかし今は没落しています。
「中臣」は氏(うじ)、「連」は姓(かばね)。氏は血縁中心の同族集団、姓は家柄や地位を示す称号のことです。
作中では父が亡くなったのは史が十二の頃と示されています。鎌足の没年が669年、史の生年が659年なので、12歳は数え年。満年齢で言えば10歳の時ですね。
ここで歴史上の人物としての中臣史(藤原不比等)を見てみましょう。
藤原不比等(659~720)
鎌足の子。大宝律令の制定に参画し、平城遷都に尽力。養老律令編纂の中心となる。娘宮子が文武天皇夫人として聖武天皇を生み、藤原氏が外戚となる端緒をつくる。引用:日本史B用語集 改訂版(山川出版社)
掲載してある教科書は11冊中11冊。父ほど有名ではないかもしれませんが、歴史上の超重要人物です。
大宝律令は701年(不比等 満42歳)、平城遷都は710年(51歳)、養老律令の成立は718年(59歳)です。
娘には宮子の他に、聖武天皇の皇后になる光明子(光明皇后)もいます。
後に大権力者になる彼も、若き日は本作のような苦労をしていたんでしょうね。
作中で史が自分の名前を伏せるように望んだとおり、史実としては、古事記との繋がりは特にありません。
常人にない記憶力
出仕した史は、木簡に書いてある書を全て調達してきてくれと上司に指示されます。
史は一通り目を通すと、木簡を上司に返します。「もう憶えました」という史。
書庫で史が思い出すのは、教えられた国の成り立ちの話でした。
これからわしが教える内容を
一字一句違える事なく憶えてください
それはいつの日か必ず
史様のお力になる事でしょう
不思議な漢字の並び
宮中で史に向けられる視線に、好意的なものなど一つもない。友人など作れるはずもない。
史は、自分のことなど誰も知らない所で生きていけたら、「自分ではない『誰か』になれたら」と夢想します。
誰もいないと思われた早朝に宮に向かう史。そこで同じ大舎人(おおとねり)の同僚を見かけます。
何かを探しているような同僚。そこで史は木簡を拾います。
そこに書いてあったのは、漢文としては意味の通らない謎の漢字の羅列。
同僚が探していたのはその木簡だったようで、史から木簡を取り上げて去っていってしまいます。
おい! 勝手に見るな!
大王からの密命
ある日、史は大王(おおきみ)から呼び出しを受けます。
今の天皇(すめらみこと)は大海人大王(おおあまのおおきみ)。
名の由来を尋ねる大王に、史は自分の師であり養父である田邊史大隅(たなべのふひとおおすみ)の姓(かばね)から頂いたものと答えます。
大王が史に与えた役目は、『古事記(ふることふみ)』の編纂。
上宮様(かみつみや。聖徳太子)と蘇我馬子(そがのうまこ)が編纂した史書が、史の頭の中にあるといいます。
大隅が史に覚えさせていた国の成り立ちの話。それが史書の内容でした。
中臣史
偽りを削り実(まこと)を定め
正しき古事(ふること)を後の世に伝えよ
ここで大王(天皇)について見てみましょう。
この時代の大王は、天武天皇。元・大海人皇子です。大海人大王という言い方は一般的ではないと思いますが、天武という漢風諡号(かんふうしごう)が贈られるのはまだ先なので、このような表記になったのだと思われます。
それから聖徳太子と蘇我馬子が編纂した史書について。
日本書紀に、皇太子(ひつぎのみこ。聖徳太子)と嶋大臣(しまのおほおみ。蘇我馬子)が天皇記(すめらみことのふみ)及び国記(くにつふみ)を編纂したとの記述があります。
本作ではこれが古事記の元の書物になったという設定のようです。
やまとことばで書き記せ
大王が示した古事記編纂の決め事は二つ。
一つは内密に遂行すること、もう一つは『和文(やまとことば)』で書き記すこと。
ここで史は一つの望みを言います。編纂後も自分の名は秘したままにすること。
語部の巫女を輩出している一族・稗田(ひえだ)の女性の名を使うことを提案します。
そして難題なのが二つ目の決め事。漢文(からことば)ではなく日本語(やまとことば)で文を綴る術がないのです。
その時史は、以前に見た謎の木簡のことを思い出します。それは漢字で日本語の表音表記をしたものだったと気づきます。
その文を記した者は、史と同じ大舎人(おおとねり)の太安萬侶(おおのやすまろ)でした。
ここで古事記が教科書でどう説明されているか見てみます。
『古事記』
3巻。稗田阿礼の誦習(しょうしゅう)した神代から推古天皇までの天皇系譜や天皇家の伝承を太安万侶が筆録して、712年に元明天皇へ献上したもの。漢字の音訓を用いて口頭の日本語を文章に表現する。引用:日本史B用語集 改訂版(山川出版社)
ちょっとフライング気味ですが、こんな感じです。正式に天皇に献上されたのはかなり後の代なんですね。
ただし古事記の序文には、天武天皇が正しい歴史書の必要性を説き、稗田阿礼に命じて歴史書を誦習させたことが記してあります。
古事記の編纂の開始
この国に漢字が伝わったのが300年以上前。ようやく日本語(やまとことば)で読むための書が誕生する。この音が形になる様を見てみたいと思いを馳せながら、史は歌を口にします。
この時の歌は、ヤマトタケルが故郷を想って詠んだものですね。
さて、正体を隠し女の名で古事記を編纂することになった史。そして共同編纂者になる太安萬侶。
ここで史はある問題に気づきます。そこで史は……。
朝命を受けて指定場所にやってきた安萬侶。
そこに現れたのは、史が女性に扮した姿。語部(かたりべ)・稗田阿禮(ひえだのあれ)でした。
語部の稗田
名を阿礼と申します
ネットで調べてみたところ、哲学者の梅原猛氏が、稗田阿礼=藤原不比等説を唱えているようですね。
また、稗田阿礼は舎人と記されているので男性と考えるのが普通ですが、柳田國男など複数の人物から、女性であるという説が提唱されているようです。
まとめ
『ふることふひと』第壱話を紹介しました。
中臣史の複雑な立場と特殊能力、大王の密命、太安萬侶の登場、そして稗田阿禮登場と、さすが第1話といった、盛りだくさんな回でしたね。
今後も1話ずつ、この作品の内容を見ていきたいと思います。